こんにちは。
今日からブログを始めようと思います。
このブログの趣旨は「雑談できない症候群」というもので、私はこの言葉の通り雑談、世間話、とりとめの無い話をする習慣がありません。
私は40年以上の人生で、いつも「話す事が無い」ということに苦しんで生きてきました。
この日本のどこかで、同じように苦しんでる人がいたら、そんな人たちの気晴らしになることができたら嬉しいなと思います。
興味のある方は読んでいってください。
ちなみに今日の記事の写真は、明治神宮への参拝です。
今日はこの神社でお参りをしてきました。私の願いは一つだけです。 「雑談や取り留めのない話ができずに苦しんでいる人が減りますように」 そう思って参拝した写真とともにお話ししていこうと思います。
「雑談できない症候群」という悩み
まずこの「雑談できない症候群」というのは、もう名前の通りなんですが、私は雑談というものが苦手です。苦手というか、苦手というか……人生ですごく悩んできました。
人と会っても話すことがない。どこに行っても話すことがない。どうしたらいいか分からず苦しみました。
若い頃は「ただの雑談が苦手な人」「おとなしい人」というカテゴリーに自分を入れて考えていたのですが、私は40年以上、自分の性格や行動パターン、他人との接し方を考えているうちに、もうこれは「症候群」と名前をつけていいほど、自分は普通の人と違うんじゃないかと思うようになりました。
雑談ができないというと、多くの人はきっと「なんだ、雑談じゃん。そんなことか。話すだけじゃない」と思うと思うんですね。 他のお悩み、例えばお金の悩みや容姿の悩み、人間関係のトラブルに比べたら、「人と取り留めのない話をすることについて何とも思わないよ、普通にできるよ」って人の方が多いんじゃないかなと思います。
おしゃべりをするのは楽しいことだとか、ストレス発散になるから職場でもずっと黙って仕事をしているよりも、時々は雑談があった方がいい。話題というものはポンポン頭に浮かんでくるもので、あらかじめ考えることもないし悩んだりすることではない。そういう人が多いんじゃないかなと感じています。
実際、私も昔、職場にすごく誰とでもフレンドリーに話す女性がいて、疑問に思って質問してみたことがあります。「人と話をするのって、難しくない?」と。
そうしたら、その人は「全くそんなことはないよ」と言うんですね。誰かと話す時に「何を話したらいいんだろう」ということは考えたことがない、ということを言ってました。私、それを聞いてすごくびっくりして、うらやましくなって、その時のことが強く記憶に残ってます。なぜなら私はもう30年以上、ずっと「話すことがない」ということが、人生の一番の悩みであり、苦しみになっているからです。
中学生時代に感じた「休み時間」への恐怖
まず、この「雑談ができない」という状態をどこから説明するかっていうのは難しいんですが、最初に困ったのはたぶん中学生ぐらいだったと思います。
学校には休み時間というものがあるじゃないですか。その休み時間に話すことがなくて困る、ということを経験しました。私はこれもおそらく普通の中学生なら考えないんじゃないかなと思うんですが……。
まず授業と授業の間に休み時間というものがあり、1時間目と2時間目、2時間目と3時間目の間に10分とか15分の休み時間があるんですが、授業終わりにチャイムが鳴って「休み時間が始まったよ」ってなると、私はどうしていいかわからないんですね。
授業中は席に座って先生の話を聞いてるじゃないですか。先生の話を聞いていて、授業に集中している(集中していないこともほとんどなんですが)、例えば算数の授業なら算数、理科の授業なら理科の話を聞いている。
そしてチャイムが鳴る。チャイムが鳴ると、他の人は当然のように友達のところに行って何かしら話をする。それが私にとってはだんだんと奇妙なもののように思えたんですね。
なぜなら私は友達のところに行って何かを話す内容がないから。「なぜ授業が終わって、みんな何かしら話し出すのかな?」っていうのが私にとっての疑問でした。だから中学生生活を送りながら、そこでクラスメイトと自分の違いというものを強く感じてました。
私はこうして「話すことはない」とか「雑談が思いつかない」ということを言っていますが、一人で孤独にしていたいタイプではなく、やっぱり友達も欲しいし、みんなとワイワイしたいなって気持ちだけはあったんですね。
だから休憩時間になると、なんとなく友達のところに行くんですが、席に行ってもやはり話すことがない。そんなことで困ることがよくありました。話すこともないのに友達と一緒にいると、なんとなく気まずくなる。そういう経験をしていました。
でも、もう中学校も3年生ぐらいになると「休み時間が怖い」からという理由で、学校には行きたくないなぁと思うようになりました。私にとって「自由時間を与えられる」ということが、すごく怖いことになってたんですね。
学生の時は特に、みんな自由時間になれば必ず誰かと会話をしているという雰囲気があったので、それができない自分を辛いと思ってました。今想像しても「なぜそんなに常におしゃべりしていられるんだろう」「なぜそんなに話すことがどんどん頭に浮かんで、毎日毎日話をするんだろう」と不思議に思います。そして、なぜみんなが普通にできることが私には不自然なんだろうと、そう思っていました。
友達と二人きりで沈黙した気まずい思い出
高校の時も一つ覚えている出来事があって、私、その時はクラスに少し友達がいたんですね。だいたい活発でおしゃべりな子たちだったので、話が苦手な私も自然に混ざってみんなで話すような感じで、友達として付き合ってたんですね。
そういう子たちはおしゃべりでどんどんいろんなことを話しかけてくれるので、私もそういうよく話す子が話題を出してくれて、その話を聞いたり感想を言ったりして、普通に「クラスの友達」だと呼べるような子たちと過ごしていた時もありました。
だけど一つ覚えている経験があって……それがクラスのよく話す明るい子がある日、「今日学校帰りどこかに遊びに行こう」って言ったんですね。で、私は何も予定がなかったので、その友達と遊びたいなって思ったんです。
だから「行くよ」って言って、でも他の友達は誰も来れなかったので、じゃあ2人だけで行こうってなったんですね。そうして学校が終わって、その友達と町に繰り出したんですが、その時に「話すことがない」ってなったんですね。
もう20年以上前のことなので、あまり内容は覚えてないんですが、まったく無言だったわけではないし、自分なりに受け答えはしてたと思うんですが、沈黙の時間が結構あって、それで最終的には予定より随分早く「帰ろうか」となって解散になりました。
で、そのことがあってすごく申し訳ないなって、私思ったんですね。相手もなんだか「私といても話すことがない」って困ってるんだろうなぁというのが伝わったし、申し訳ないな、どうしたらいいのかなって、すごく心苦しくなったのを覚えています。そんな感じで学校には行っていたけど、周りの人と何を話せばいいのか、どう付き合ったらいいのかがわからずに、学生時代は悩んでいました。
学校の休み時間に話すことが無い!!!
こうして「雑談ができない」「何を話したらいいかわからない」と言うと、「いったい何を考えて生きているんだろう」そう思う方もいると思います。
もちろん私にも好きなことはあって、その時その時で本を読むのが好きだったり、映画を見るのが好きだったり、美味しいものを食べるのが好きだったりはするんですが、それをどう人に話して、どう情報交換をして、何が話題になって何が話題にならないのかっていうのが、私にはわからないんですね。
学校の休み時間の話で言うと、私はそうやって自由な時間ができたときに「誰かと話す」っていうのがすごく不思議でしょうがないっていう気持ちがあります。というのも、みんなが話しているその話題というのが、「いつ、どこの時点で言いたい、伝えたい、話したいと頭に浮かんだものなのか」がわからないんです。
例えば、1時間目と2時間目の休み時間に誰かと何かの話題を話すとします。1日の中には休み時間が1つだけではなく何個かあるから、じゃあ次の2時間目と3時間目の間の休みにも何かを話す。
そこで私がわからないのが、「この3時間目と4時間目の間の休み時間に話したことは、それは1時間目とか2時間目の間には話さなかった内容なのか」ということ。なぜ1時間目と2時間目の間には思いつかなかったことが、3時間目と4時間目の間の休みには「話したいこと」になったのか……というのが、私は不思議に思います。
例えば「髪切ったね」という話題なら、髪を切ったことは朝一番に相手の子に会った時に分かるので、その場で話したいことですよね。私もクラスメイトが髪を切ってきた時には「似合うね」「いいね」ということを伝えたいし、それは話すと思うんです。
ただ、そういう「伝えたいこと」や「話したいこと」を言い切ってしまった後の、顔を合わせている時間には何を話せばいいのでしょうか。言いたいことを言った後でも、休み時間のたびに新しくどんどん別の話したいことが浮かんでくるっていうのが、すごく難しいことだなって思います。
そういうのがすごく疑問で、なぜみんな普通に生きてて話すことがそんなに沢山あるのかっていうのが、すごく不思議でした。
雑談といえば「天気の話題」だけど・・・
学生のときだけではなく、仕事をし始めてからもずっと悩んでいました。私は22歳で会社事務員として働き始めたのですが、その場所でもやはり「雑談ができない」ということに苦しみました。
まず思ったのが、会社に行くとその同じ会社の人たちが「今日もいい天気だね」などと話しかけてくれるんですが、私はそれをすごくありがたいとは思っていても、なんて返事をしたらいいのかわからなくて悩み苦しみました。
私の頭では「いい天気ですね」って言われても、「はい、そうですね」としか思わないんですね。だからなるべく笑顔で「そうですね」とは言うんですが、その後すごく困ります。「いい天気だから何なのか」というのを言葉で返すっていうのが、すごく難しいです。
天気以外にも「暑いですね」とか「寒いですね」っていう声かけもよくされてましたが、「暑いのは昨日も暑かったよね」って。夏だから暑いし、それについて何かの感想があるかって言ったらないんですね。
で、私もそうやって「いい天気ですね」という言葉をくれる人が、どうしても天気について話したいわけではないということは理解していて、おはようとかの挨拶後のコミュニケーションの一環として話しているということはわかっています。ただ、それをわかっていても、本当に何て返したらいいのかわからないんです。
40年以上生きてきて思ったことは、普通の人はこういったコミュニケーションをそれほど苦ではなくできるということ。でも私は雑談がわからない。わからないから苦しんでいる。
よく「仕事ができれば雑談なんてしなくていい」という人もいます。「挨拶をしっかりして、仕事上のコミュニケーションをしっかりとって、やるべきことをやっていれば社会で生きていける」、そういう人もいます。
でも実体験から、私はそれは違うとはっきりと言えます。雑談ができないと、それを心よく思わない人が必ず存在していて、人間関係がうまくいかなくなります。
私が働いていた会社の多くは、みんなと話すという「雑談」が多いところでした。だから仕事中もいろんなことを話しかけられて聞かれたし、私もそれが嫌なわけではないので、聞かれて答えるっていうのはできたんですが、私は自分から話をすることはできない。話題も思い浮かばないので、自分からは仕事中に何かを話すということが全くないんです。
私は特に仕事中にはやっている仕事に集中して仕事のことを考えているので、途中で全く他のことを話しかけられると、なんだか脳が戻らないという感覚なのか、それについて考えて何を返事したらいいか分からなくなるんですね。
「壁が白いですね」と同じに思える感覚
あと、「どういうことなら話題として正解で、何なら話題にならないのか」っていうことが私にはすごく難しいです。私が昔職場の雑談に苦しんでいたとき、ノートに書いた言葉があります。
「壁、白いですね」という言葉。
私は職場で毎日「今日も暑いね」とか「いい天気だね」と言われるたびに、頭の中にこのセリフが浮かんでいました。それをノートに書いてたんですね。
私にとっては「天気がいい」という呼びかけは、まるで会社のその辺の壁を指差して「今日もこの壁白いですね」と呼びかけられるのと全く一緒なんです。何が違うのかがわからないんです。
皆さんは「壁が白いですね」って誰かに言われてなんて答えますか? それが壁じゃなくても、床なら床でも同じですね。「床が平らですね」とかいう呼びかけでも、私にとっては一緒です。
おそらくこんなことを言ったら「頭がおかしい人だ」と思われるんだろうなとは思うのですが、私にとっては同じで、いつも「いい天気ですね」「いや今日も暑いね」「今日も寒いね」と言われるたびに、それって「壁が白いですね」と一緒で、結局「そうですね」「その通りですね」としか答えられない言葉を投げかけられているようで、心苦しく思っていました。
もちろん話しかけてくれる人は、人を困らせたくないし、親切にコミュニケーションを取ろうとして話しかけてくれる。その人のことはすごく感謝もしてるし、嫌な思いをさせたくないなって思ってました。
だけど、なぜ「天気」は雑談の始めとしてOKで、「壁が白い」のはダメなのか。私には今でも答えが出せません。
今回は、雑談できない症候群である私の「本音」について記事にしました。
読んでいただき、ありがとうございました。

