こんにちは、「雑談できない症候群」のさちです。
その名前の通り、私は「雑談」や「とりとめのない話」ができないため、学校や職場などのコミュニティで人間関係を築くことが全くできませんでした。
今日は「職場の雑談」をテーマに、私の体験をお話ししていこうと思います。
職場の雑談は「したい派」か「したくない派」かの議論以前の私。
皆さんは職場で、仕事と関係ない話をしたいですか? これはネット上でも、よく議論になる話題ですよね。
「仕事中にずっと無言なんて息が詰まるから、雑談を挟みながら楽しく仕事をしたい」という人もいれば、「職場は仕事をするところだから、プライベートなことを話したくない」という人もいると思います。
私はそんな皆さんの意見を読んでいて、「いいなあ!」と羨ましくなります。 なぜなら、多くの人は職場の雑談を「したいか、したくないか」という選択肢で考えられるからです。「雑談そのものが、どうすればいいか訳がわからない」という人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
私は、職場で雑談をしたくないと思ったことはありません。 普通に雑談というものができるものならしたいけれど、自分にはどうしてもできないのです。
この「雑談ができない」という特性によって、私はどこの職場にいっても違和感で苦しみ、誰かしらからは嫌われ、酷い時にはイジメを受けました。いつも、いつも、会話に苦しんでいました。 毎日、毎日、「なんて返事をしたらいいの?」「どんなことを喋ったら周りは認めてくれるの?」と、悩み続けていたのです。
今日は、私が初めての職場で働き始めてから、雑談に悩み、そして退職することになった体験をお話しします。
「いい天気ですね」=「壁は白いですね」
社会人になって初めての会社で事務員として働き出した私は、仕事自体は楽しいと感じていました。しかし、集団生活の過ごし方については、すぐに違和感を持つようになります。
それは朝、出社して同じ職場の方たちに会うと、「おはようございます」という挨拶の後に、よくこんなセリフを言われたからです。
「今日も、いい天気だね」
という、天気についての問いかけ。 私はこの、天気について何かを言われることがとても苦手です。
なぜなら、「そうですね!」としか返事ができないからです。
前回の記事でもお話ししましたが、私はこの「いい天気ですね」という言葉を、「壁は白いですね」という言葉と全く同じだと思っています。
「目の前に机がありますね」とか「今、息を吸ったり吐いたりしていますね」といった、当たり前すぎる事実の確認と同じで、そこには何の意味もなく、何のコメントもできないと感じてしまうからです。
つまり、ただ事実を言っているだけ。そこに、何も感情は湧かないはず。 なのに一体どのような返事を期待されているのだろう? と私は不思議でなりませんでした。
これが「特別な天気」の日なら、まだわかります。 例えば、ものすごく風が強い日。 もしこんな日に「今日は、すごく風が強いねー」と言われれば、雑談の苦手な私でも何かしら言うことができます。 「本当ですね!もう髪の毛がバサバサになっちゃいましたよ」というように、自分の状況と絡めて返事ができるからです。
だけど、普通の晴天の日に「いい天気ですね」と問いかけられても、私には「はい、そうですね」としか言うことができません。
「今日も早いね!」という朝の挨拶への返事の正解って?
朝の言葉かけとして、天気の話よりも、もっと返答に困ってしまう言葉もありました。
それは・・・
「さちさん、今日も早いね!」
というものです。
当時、私は電車通勤をしていたので、遅延による遅刻を避けたいという思いから、少し早めに出社する習慣がありました。50名ほどが働くオフィスに、まだ2、3人しかいない時間に出社していたのです。
すると、まだ社内に数人しかいないので、私と顔を合わせた人が挨拶の延長として、コミュニケーションを目的として話しかけてくれるんです。ですが私は、そういう社交目的の会話において何を話せばいいのか、全くわかりません。
「さちさん、早いね!」と言われて、いったい何て返事をしていいかわからず、私は戸惑い、固まってしまいました。 これは今でも、どう返事をするのが正解なのかわからずにいます。
反対に「不正解」ならわかるんです。 「早いですね」と言われて、「はい、早いです!」と答えるのも、「え?これって早いですか?普通ですよ」と返すのも、会話としてはおかしいですよね。
相手は決して、私の出社時間が早いかどうかの議論をしたいわけではない。 あくまでも「コミュニケーション」の一環として、雑談のきっかけを投げかけているだけ。内容なんて、なんでもいい。そう思っていることは理解しています。
でも雑談って、「内容は何でもいい」と言いながらも、何を言っても許されるわけではないですよね。
例えば「早いね」と言われた後に「今日は天気がいいですね」などと、脈絡のない返事をしてしまったら、変な人だと思われてしまいます。となると、やはり「早く出社している」という話題に沿った返事をするしかありません。
では、一体何が正解なのでしょうか?
どれだけ脳内を探してみても、「出社が早い」ということに対して私は何とも思わないし、話すべき理由も特にない。 もし私が「始業前に片付けたい仕事がある」という明確なポリシーを持っていれば、それをストレートに伝えられます。でも、私にとっては特に理由もなく、自然にそうなった時間なのです。
つまり、言うべきことが何もない。結果、返事ができない。 私が自分を「雑談できない症候群」と名付けたのは、このように、他の方なら当たり前にできる「ちょっとした言葉のやり取り」が全く思いつかないからです。
「いい天気ですね」なら、まだ「そうですね!」で済ませられます。でも「今日も早いね」に対しては、「そうですね!」は言えない、この便利な言葉すら使えない。なので、私にとっては最難関ともいえる言葉でした。
毎日職場で話す内容がある人達が羨ましい
社会人として時間を過ごすうちに、私は自分と周囲との圧倒的な差を感じるようになります。周りの人たちは、毎日、仕事と関係のない内容のおしゃべりをして過ごしているのです。
朝の更衣室、女子トイレ、給湯室。 同僚同士がたわいないおしゃべりをしているのを横目に、私はいつも疑問に思っていました。 「毎日毎日、何をそんなに話す内容があるのだろう?」と。
初対面であれば、住んでいる場所などの基本情報を話せますが、知り合って何日も経つと、もう話す内容が尽きてしまいます。挨拶の後に、自分から話題をつなげることができないのです。
周りの人たちは親切に「仕事には慣れた?」などと話を振ってくれますが、私はその度に心苦しくなっていました。
例えば更衣室で二人きりになったとき。気まずい空気を感じて、「おはようございます」と挨拶はします。でもその後に何かを話すというような習慣が私にはありません。 相手が「仕事には慣れた?」と聞いてくれても、まず「私は慣れているんだろうか?」と自問自答するところから始まるので、言葉に詰まってしまいます。
「……はい、慣れてきたとは思っています」 これが精一杯の答えです。そこに何か情報を付け足けたして話をつなげるということが出来ません。
この例だと、私は「自分の仕事について、その瞬間に相手に伝えたいこと」が特にないんです。 なので、話しかけられても少し答えて終わってしまうことがほとんどで、他の人たちのように雑談をして楽しむということができませんでした
こうして私は、周囲から「雑談をしない人」「変わっている人」だと認識されるようになっていきました。仕事自体は好きで、業務も円滑にこなしていたのですが、休憩時間やちょっとした隙間の時間が、私にとっては苦悩の連続でした。
給湯室や更衣室でのおしゃべりがわからない!
私が「職場の雑談」に悩んでしまう瞬間は、1日の中で何度もありました。
例えば、少し休憩をしようと思い給湯室に行くと、中で他の同僚が1人で休憩をしているという、そんな時。 「お疲れ様です!」とまず、挨拶はするのですが、そのあとに特に話したい内容があるわけではないので、無言になってしまいます。狭い給湯室で2人で無言の時間を過ごすと、気まずいですよね。
私はこういう「ばったり会った時の会話」というのが、よくわかりません。 その相手に対し、何か用事か伝えたい事があるのであれば、ばったり会う前に相手を捕まえて話をしていると思います。
それにこういうばったり会った時の「雑談の内容」というのは、その日、その相手とたまたま一緒にならなければ話さなかった内容であり、つまり「話しても話さなくてもどちらでも良い内容の雑談」なんですよね。
私は、そういう「話しても話さなくてもいい雑談」というものが、あまり頭に浮かんでこないんです。浮かんでこないというか、必死で脳内を探しても、何もなくて、困ってしまいます。
なので私は仕事上は何も困っていませんでしたが、周りの人とのコミュニケーションはわからないことばかりで、いつも疑問に思っていました。
突然始まった無視。きっかけは「仕事に集中していたこと」だった!
社会人2年目になり、私は仕事を楽しんでいました。さらに仕事を任されるようになり、直属の上司からもそれなりに可愛がっていただいていたと思います。優しくしてくださった人のほうが、多かったと思います。
私は雑談が出来ないことで「あまり話さない人」や「何を考えてるかわかりにくい人」だと思われてるのだろうなとは思っていたけれど、私自身は社内に苦手な人や嫌いな人は一人もいませんでした。
私は誰の事も嫌いじゃないし、苦手ではない。話をしないのは、相手が嫌いだからではなく、雑談が苦手だから。
「雑談はできなくても、困ったときは助け合っておだやかに働ければいい」 そう願っていましたが、現実は違いました。
同じ部署の先輩の一人が、雑談に加わらない私のことを、徐々に疎ましく思うようになっていったのです。そしてある日、その先輩は私を完全に無視するようになりました。
きっかけは、仕事中の雑談でした。 私は、仕事に集中している時に別の話題(旅行の話など)を振られると、脳を仕事モードに戻すのが難しくなってしまいます。だから、仕事中はずっと前を向いて自分の業務に集中していました。
ある日、私の後ろで先輩たちが話をしていたのですが、突然そのうちの一人が私の前にやってきて、こう言い放ちました。
「自分には関係ないです、って顔してますね!」
あまりの衝撃に、私は固まってしまいました。一言も言い返すことができませんでした。 その日から、先輩は私だけを徹底的に無視するようになりました。
挨拶をしても無視。 仕事上の必要な質問をしても無視。 相手は先輩ですから、仕事はやりづらくなり、それはまぎれもない「いじめ」でした。
でもそういう理不尽な態度を取られても、私は何も直接反論することも、上司に直談判することもできませんでした。上司も同僚も、気づいてはいました。けれど、無視だけで、暴言や暴力というものではなかったので、やめるように注意してくれることはありませんでした。
毎日毎日、無視されることで、私は心を病んでいきました。会社には行っていましたが、自分1人だけ嫌われ、徹底的に無視をされているということを惨めに感じていました。
その先輩からしたら、雑談に加わらない私が悪い人間であり、周りの雑談を無視している私なら、同じように無視をしてもいいのだ!という気持ちだったのかもしれません。それでも、悲しくて、つらくて、家では泣いていました。
そして、それが数か月続いた後に、私はその会社を退職することにしました。
職場で完全無視されるのは、思い出しても辛い。
これはもう昔のことで、普段思い出す事はありません。でも、こうして書いていると感情がよみがえってきて涙が込み上げてきます。顔を合わせているのに、そこにいないものとして完全に無視され存在を否定されるのは本当に辛かったです。
それでも何よりも悔しいのは、何も行動できなかった自分に対してです。
「私はバカだなー」と、つくづく思います。強く抗議するなり、上司に直談判するなり何かできればよかったのにって、こうして思い出した時には、悔しくなる出来事です。
40代となった今なら、私も何かしら言うことができたと思います。でも、20代の若いころの私は、何をどう言えばいいのかわからずに、ただ苦しんでいました。
私が雑談が出来ない理由の1つに、「とっさに言葉が出ない」というものがあります。例えばこの先輩に「自分には関係ないって顔だな!」と言われた時には、私は完全に固まってしまい無言でした。私はこういう時に、すぐに内容を理解して言い返すということができません。「どういう意味ですか?」と聞き返すことすら私にはできませんでした。
この退職の後も、私は「雑談」と「人間関係」に悩み、職場を転々とすることになります。
その時のお話は、また別の記事でお話ししようと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

